日出ずる国の生まれ

by Saito 2012年06月10日

東の端にある島国

あれはいつ頃だったか。ヨーロッパが中心の世界地図を初めて見た時、妙な違和感を感じたことを憶えています。我が国はこんな世界の端の方にあるのかと。例えば、もし僕がヨーロッパのどこかに生まれていれば、東の端にある島国にどこか神秘的な魅力を感じてしまったかもしれません。そこに住む人たち、そして文化にも。実際に外から見てどう思うかは、この国に生まれ育った僕には分かりませんが、一つだけ確かなことは年を経るにつれ年々、この国を味わい深く感じるようになっていることでしょう。この味わい深さはどこからくるのか?最近はそんなことを考えてみたりもします。

日本といえば富士山

数年前に富士山に登る機会があったのですが、なんでしょうね…あの山の上から見る景色というのは。「日本といえば富士山」というような想いで登った訳ではなく、どちらかというとあまり気乗りはしていなかったのですが、あの眼前に広がる雄大な景色を見た時に、大袈裟ではなく本当にしばらく呆気にとられていました。山の間に広がる霧、遠くに見える夕日、まるで雲の上に居るような神秘的な錯覚を憶えたのをありありと思い出します。こんな美しい景色のある国に住んでいたのかと。そして、それと同時に何百年と変わっていないであろうこの景色を見て、その当時の人達も同じ様なことを思ったのだろうかと。そう思った瞬間になぜか自分の住むこの日本という国をとても体で感じた気がしました。

過去、そして今という景色

一度そう思ってしまうと、幼い頃は退屈でしかなかった名所や観光地も、今では味わい深さがこみ上げてきます(笑)。そこにある時の流れ、そしてその先端の今という場所に自分が立てているということ。良いことも悪いことも感じながら、過去もそして現在もまた見直してみれば、もっとこの日本という国を好きになるような気がしています。

エジソンから始まったこと

by Saito 2012年06月3日

発明王との出会い

まだ子どもだった頃、トーマス・アルバ・エジソンの伝記を読んだことを今でもよく憶えています。たまたま家にあったのか、その頃はまだ発明ってすごいなということではなく、ただ読み物として面白かったから何度も読み返した記憶があります。子供の頃は変わり者で劣等生だったアル(エジソンの幼少期の通称)、後に発明王と呼ばれる彼はそのひらめきも然ることながら、何度の失敗にも屈することの無い不屈の精神を持っていたそうです。

発明とその恩恵

発明とは、数えきれない実験とその失敗の上に成り立っていて、その上澄みだけが普段の生活に潤いを与えてくれていたり、夢を与えてくれていたりします。普段気にも留めずにある身の回りの物も、よくよく見てみると「これを考えだすのはすごいことだな」と改めて思ってみたりします。例えば、今インスタントコーヒーを飲みながら書いていますが、これを考えだしたのもすごいことですね。

発明と創作と

改めて考えてみると、発明も創作も同じようなことなのだと感じます。数えきれない失敗のその上澄みだけが人の目や手に触れる。そして、普段は気にも留めないくらいその人の生活に溶け込んでいるもの。見回してみると沢山ありますね。自分の身の回りにある物だけでも、そういう物が何か創作のヒントをくれているようで、これからも常々気に留めていこうかと思います。先人の偉業・意匠に感謝をしながら。

エジソンのように画期的ではなくても、そういう物を生み出していければと思います。

あの夏、その奇跡

by Saito 2012年05月27日

四季の中で夏というのは一番活動的な季節だと思います。暑くて汗がよく出るということもあるからか、何かとても爽快で開放的な感じがします。一年の中で一番外に出ていることが多い季節なんじゃないでしょうか、人も動物も虫もそうですけど。

幼い頃の夏休みに行った、田舎の祖母の家などを思い出したりもします。あの昼も夜もうるさいくらいの虫の声。寝苦しい夜に涼しい風が吹いた時のあの心地よさ。川のひんやりした感じ。まさに日本の夏といった感じでしょうか。思い返してみても楽しい思い出が多くて、それだけにどこか少し切なかったり。

不思議ですね、この季節の終わりにだけ感じる「祭りの後」的な感覚は。「一夏(ひとなつ)の〜」とか「〜の一番暑い夏」とか、よく聞くキャッチフレーズも、どこか刹那的なものを感じさせます。一年で一番開放的な楽しさと、それと同時に切なさも感じさせる。

そんな様々な夏を表現した素晴らしい楽曲が、我々の運営する『著作権フリーBGM配布サイト Hurt●Record』にて公開されています。皆さんの夏の1ページに加えてみるのはいかがですか?

Hurt●Record / 著作権フリー音楽(BGM) Vol.09「夏」

路地裏の物語

by Saito 2012年05月20日


先日通っていた仕事場(劇場)の近くにある路地裏を撮ってみました。まさしく昔ながらといった感じの路地裏でしたが、白黒写真にするとさらにそんな雰囲気がしますね。もう日も暮れて、様々なお店の看板に明かりが灯っているのがとても奇麗でした。なんだか路地裏ってわくわくしてしまいます。この先はどこに繋がっているのだろうか、はたまた行き止まりなのだろうか。そして今日も様々な人が、ここで憂さを晴らしたり、笑ったり、泣いたりしているのかと。つい色々なドラマを想像してしまいますね。

伝えたいことはなんですか?

by Saito 2012年05月13日

先日、街中にある無人のATMでお金をおろしていたところ、ふいに後ろから

???:『Excuse me

という言葉が聞こえ、振り向いてみると、観光に来たであろうアジア系の老夫婦が立っていました。振り向いてしまった手前、「どうしたの?」みたいな顔で近付いてみると(この辺りですでに英単語が出てこない自分に気付いてましたが)、どうやら自分たちの持っているお金を円に両替したいんだけど、「ここって出来るの?」みたいなことを言っているような気がする。日本語は全く喋れない様子。

斎藤:『Money change ?

こんな言葉しか出てこないのか…と、自分にがっかりしながら一応聞いてみるとYesと返答されたので、すごく残念そうな顔をしながらNoって言ってみました。Oh…とか言いながら残念そうにしている彼らを見て「伝わった!」と思ったのですが、多分こんなに喋れない人間がしゃしゃり出てくると思わなかったのでしょう、彼らはその後もどんどん話しかけてくる。「この辺りに両替出来る所はないのか」みたいなことを言っている気がする。もう既にいっぱいいっぱいでしたね。たまたま近くにあるのを知っていたので、確認もせず勢いで、

斎藤:『Come on !

って言ってました。一緒に歩いてる間も、今がどういう状況で、なぜ私たちは両替したいのかという理由を言っていた気がするのですが、さっぱりわからず。Uh-huhとか適当に相槌をうっていると、ふとこの時間はもう両替やってないんじゃないか?というのを思い出し、これだけはなんとか伝えねばと必死に腕時計を指しながら、

斎藤:『Maybe close

伝われ!残念そうな顔をしたので伝わったと思い、そのままたどり着くと、案の定閉まってました。彼らも途方に暮れたようで、しばらく考えて「この辺りにホテルはあるか?」と。もう思わず「あっちかこっちの駅を越えたところにあるよ」と完全な日本語で答えていました。不思議そうな顔、伝わってないと思っているとふいに

老夫婦:『What’s name?

斎藤:『Yuki saito

老夫婦:『No ! No !

ああ、ホテルの名前ね。とりあえずその場でホテルの名前を告げて別れました。お互いに疲れた顔をしてましたよ。こんなにも骨が折れることなのかと。そして、伝わらないのはこんなにももどかしいことなのかと、改めて考えさせられた夜でした。