さようならそしてこんにちは

by Saito 2012年05月6日


先日、遂にただの箱になってしまわれました。もうすでにメイン機からは外れて久しく、たまに触る程度だったのですが、ある日突然何も答えてくれなくなりました。長年連れ添っただけに感慨も一入。色々な思い出もあり、突然の別れにはしばらく呆然とさせられました。

ただ別れの余韻にいつまでも浸っている訳にもいかず、すぐに新しいものを注文しました。翌々日には家に届き、新品の真新しさにドキドキしながらのセッティング。色々いじっている内に、ふとこいつとの別れの寂しさを忘れていることに気付きました。そうか、こうやって別れの寂しさってやつは思い出になっていくのかと。

月並みなようですが「出会いがあるから別れがあり、別れがあるから出会いがある」という言葉を改めて思い知った感じです。始めから出会いの方にワクワクしていれば、別れの寂しさはすぐに消えて、思い出に変わっていくのですね。

人はなぜ涙を流すのか

by Saito 2012年04月28日

最近涙を流したのはいつだったか憶えていますか?嬉しかったり、悲しかったり、理由やキッカケは様々あると思いますが、なぜ人は泣くのでしょうか?段々と年を重ねてきて涙脆くなってきたかと思うと、子供の頃の方がよく泣いていたような気もします。あの頃、なぜ泣いていたのか。これは周りの人に悲しかったり寂しかったりしている自分を、知ってもらうための一種の自己表現だったように思います。

今もそうなのかどうか。一人映画を観て感動して泣いたり、人前で涙するのは恥ずかしいのか隠れて泣いてみたり。人に知ってもらうというよりも、何かを自分に知らせるためのものに変わってしまった気がします。今のお前はそうなんだよと。

「人は泣きながら生まれてくる」という言葉をどこかで目にした記憶があります。赤ん坊は最初の息を吸うために泣くのだそうです。その泣き姿を見て、周りは一様に感動や喜びに包まれて涙を流している。考えてみると不思議な光景ですね。誰のためでもなく、みんな自分のために流す涙。一方は息を吸う為に、一方は生まれてきてくれた喜びの為に。そう思うと自分にも周りにも、涙はいつも何かを知らせているのかもしれませんね。

そんな様々な涙を表現した素晴らしい楽曲が、我々の運営する『著作権フリーBGM配布サイト Hurt●Record』にて公開されています。心の琴線に触れる作品が見つかるかもしれませんよ。

Hurt●Record / 著作権フリー音楽(BGM) Vol.27「涙」

春の風景

by Saito 2012年04月22日


何年か振りになりますが、お花見へ行ってきました。と言っても、近所にある公園に行っただけなのですが、桜きれいでしたね。昨年の自粛ムードの反動からか、今年の花見は各地でかなりの人出だったようですが、この公園は交通アクセスが不便なこともあり、近所の方々しか来ていないようでした。おかげでのんびりお花見をすることが出来ましたよ。

お花見って手軽なアウトドア感覚でワクワクしてしまいます。外で飲んだり食べたりするのも楽しみの一つだろうと、この時も最近発売されたばかりの黒ビールを手に出かけたのですが、とても美味しく感じました。久しぶりの花見は何かいろんなことを考えながらとても楽しめましたね。

Are You Altrhythm?

by Saito 2012年04月15日

ALTRHYTHM SOUND WORKSという名前。ALTRHYTHM(オルトリズム)の部分は、英語のAltruism(オルトルイズム=利他主義)という言葉を語源とした造語です。

人の行動と原理

よくEgoism(エゴイズム=利己主義)という言葉を耳にすることはあるけれど、その対義語まで聞く事はあまりないように思う。Egoism(エゴイズム)が一般的にわがまま、自己の利益や快楽のみで、他人の事は考えないなど、あまり良い意味で捉えられないのに対して、他人の利益や幸福を第一に考えるという意味が、Altruism(オルトルイズム)にはある。どこか綺麗事めいていて、胡散臭さを感じる人もいる言葉だと思う。

表層的な理由(言い訳)を取り除いていくと、人は自分の為にしか何かをする事は出来ないと思っている。まして、自分の事すら満足に出来ていないのに、人の事まで考えるのはおこがましいとも思っている。一方で、手を差し伸べられる人にしてみれば「あなたに私の何が分かるのか」という思いもあるかもしれない。人は本来わがままなもの。それこそ周りのすべてを自分の好きなように出来る世界が一番の理想なのかもしれない。

福沢諭吉の「独立自尊」

昔どこかで見た福沢諭吉の「これからは個の独立が大切だ」という言葉は、今もって誰もに必要なものだと思うし、単純に足並みを揃える事を言われてきた事への怯えからか、自分は自分という気持ちをどこかでずっと考えていた。突き詰めてしまえば、結局は自分次第なのだと。ただ、僕がそこで怯えるあまり陥ってしまった間違いは、個性を確立させる=わがままになるという様な「独立自尊」の意味を履き違えてしまっていた事だろう。いわゆるエゴイズムというものは、個性の少ないと言われている今の世の中で何かと必要なものだし、まして、何か物を生み出そうとしている人間には一番に大切なものだという思いをずっと持っていた。

過去の偉大な商人から学ぶべくは

今もその思いはあるけれど、ただ自分の「好き」だけでやってきた事が、繋がりを持って誰かの喜びになっていった時に、ふと考えさせられる。誰かの幸せは自分の幸せなのではないか。この世界の多くが連鎖的に、相対的に、互助的に成り立っているというのであれば、これはただの綺麗事ではないのではなかろうか。過去の偉大な商人が揃って口にする、「人を潤わす事が自分を潤わしている」という言葉の意味を考える事が、今とても必要とされているのではないか。100%誰かの為に何かをするなんて胡散臭い事を言う気はないけれども、そのうちの何%かでも「他人の利益のために」という考え方を念頭に置く事が大切なのではないか。

その事を一つ一つを、このALTRHYTHMでの活動を通して模索していければ良いと思う。

 

ALTRHYTHM SOUND WORKS / オルトリズム・サウンドワークス
http://www.altrhythm.com/

イメージ

by Saito 2012年04月7日


先日、栃木県の足利にある「田崎草雲美術館」へ行ってきました。田崎草雲という人は幕末から明治にかけて活躍した日本画家で、その画韻が宮本武蔵に近かったからか、「明治の二天」と呼ばれたりしたそうです。

 

この美術館は実際に創作の場として使用していた工房の敷地内に建てられたもので、その工房の中まで拝見させて頂きました。工房の縁側に座らせて頂いた際、この踏み石に足をのせながら、同じように庭を眺めたりしていたんだろうかとか想像したりしました。

 

田崎草雲は画家として活躍しただけではなく、幕末の動乱から足利藩を救った人でもあります。この人は剣もめっぽう強かったそうで、若い頃は相当荒っぽかったらしく、当時の書画会(今で言う展覧会みたいなもの)では、よく喧嘩をしていたそうです。口喧嘩じゃないですよ。

 

この田崎草雲という人を初めて知った時、あまり画家だという印象を持ちませんでした。ただ、こういう人がどんな絵を描くんだろう、一度観てみたいという興味がとても湧きました。実際に観に行けてとても良かったです。力強さや静かな迫力が込められた作品の中に、とても構図が計算されているもの色使いや絵柄が可愛らしい作品もあって驚きました。作者の人柄をその作品から想像すると、また違った印象を受けますね。美術館を後にする頃には、当初のイメージとは大分変わっていました。