by Saito 2013年03月18日
先日仕事で千葉の方へ行った日の事ですが、その日は朝家を出たところから風がもの凄い強さで、別に天気が悪いわけでもないのにまるで台風のように吹き荒れていました。「なんだかすごいな」と思いながらその前日あたりから感じ始めていた春先の花粉をその風が大量に運んできそうで、少しげんなりしながら千葉の方へ車で向かいました。仕事先に着いてみると家を出た時よりもさらに風の勢いは増していて、まあそこらに停めてある自転車やらが根こそぎ横倒しになってましたね。その土地はその日が初めてだったので「海が近いからかな?」と勝手なイメージで自分を納得させたのですが、屋内に入ってももどんどん風は強くなっている様子で、仕事先の窓を叩く音が凄かったですね。そしてその日の仕事を終え外に出た時に、それは起こったのです。
多分朝から吹き荒れていた風はその時間にピークを迎え、気を抜くと文字通り吹き飛ばされるんじゃないかという勢いになっていました。その風に向かって必死に踏ん張っている時にふと「これもしかして、もたれ掛かれるんじゃないか?」と思ったのです。その瞬間に体の向きをクルッとかえて後ろに倒れ込みそうなくらい体重をかけてみたら、なんと思った通り風にもたれ掛かれたんです!!いや初めてでしたね、そんな体験は。風のクッションとでも言うんでしょうか、その何ともいえない弾力を背中に感じた時、「なんじゃこりゃ!!」と思わず声に出そうでした(笑)車に乗り込んでシートにもたれ掛かっても、しばらくその感触が消えずふわふわしてましたね。初めて体で体験するものの衝撃の強さ、そんな事を改めて思いました。今もまだその興奮は醒めていません。
by Saito 2013年03月11日
先日、とても懐かしいものを引っ張りだしてみました。それは何かというと、自分が子供だった頃のアルバムです。見る機会も無いのになぜか、その一冊だけを手元に置いておいたみたいで。まあそこにはあけっっぴろげな生まれたばかりの自分が写ってたりしたのですが、記憶としては全然憶えてない頃のものですね。随分と色あせた写真をパラパラ見ていると、昔住んでいた家の周りやまだ若い家族、どこだかよく分からない観光地ともう少しレトロな洋服、そしてその瞬間を納めておこうとカメラを持つのはたぶん父親。見ているうちに懐かしいというよりも、自分の知らない時間を写しているその写真達に、なんだか不思議な気分になっていました。
多分同い年くらいの父親や母親に抱き上げられている自分、どんな気持ちだったのだろうかと思います。彼らにとっては思い出の、僕にとっては知らない時間。ただその何気ない優しさに溢れているような瞬間に、囲まれた時間を過ごしていたのかとそんな事を思いました。色々時間は過ぎて行き変ってしまったものもあるのだろうけれど、何かそんな事を思った時にふと、その先端の「現在」すら愛おしく感じられました。普段何気なさすぎて気にもしていない事にも、なにかしらそこに辿り着くまでの時間や想いがある、そんなことに改めて気付かされた気分ですね。
皆さんもそんな身近な再発見を、してみるのはいかがでしょうか?
by Saito 2013年03月3日
先日、左方面を抜いてもらった親知らず。今回は右方面の上下を抜いてきました。抜いた後は相変わらずの腫れっぷりで、顔の形が(右方面だけ)四角くなってしまい、面白顔をひっさげて日々を過ごしているわけですが、ついに終わりましたね。いや長かったここまで…。
ほっとくと色々頭の中で振り返ってしまいますが、今回は前回よりもすんなり抜けたように思います。先生も余裕があったのか「歯、お持ち帰りになりますか?」という前回聞かれなかったセリフを仰ってました。それを丁重にお断りして(自宅でどう処分して良いのか分からないので)、帰ろうかと思った時に「むむっ?」と先生。以前撮ったレントゲンを見てらっしゃったので「どうしました?」と聞いてみると、「ここに小さいですけど歯がありますね…」と。「えっ!?」思わずその指差されたレントゲン写真の部分を見てみると、確かに親知らずの奥に小さな歯のようなものが写ってました。過剰歯というやつで、変なところから生えてくる余分な歯のことを言うのだそうですが、あんまり成長してくるとこれも抜かなきゃならないらしいです。詳しく調べてもらったところ幸い発見されたその歯は成長が止まっており、抜くまでには至らないものでした。良かった…でもよりによって抜いた親知らずの奥に生えているとは。「もうこれは何知らずなんですか?」その問いかけには答えず、先生は笑って「お大事に」と。
長いことありがとうございました。我が事ながらこんなオチまでつけて頂いて。後はこの痛みに耐えるだけと、日々痛み止めを飲んでいます。
by Saito 2013年02月27日
スピードという言葉のイメージとしてなんとなく「スリル」というイメージがあります。同じような感想を持たれる方も多いような気がしますが、一体このスピードというものを意識した始めはなんだったのかというのを今も良く憶えています。何時どこでというところまではさすがに曖昧ですが、それは初めて動物図鑑なるものを手にした時の「チーターは時速80kmで走る」という文字を見た瞬間でした。本当かどうか知らないですし、まず時速の意味も分からないくらい幼かったのですが「なんだかこれはすごい事だぞ」とそのチーターの走っている写真と文字を見た時にドキドキした感覚は鮮明に憶えていますね。私の場合なにかその時のドキドキが、そのままこの「スリル」という感覚に繋がっているような気がします。余談ですがその後、自分の時速を知った時にはがっかりしましたが(笑)。
HURT RECORD / 著作権フリー音楽(BGM) Vol.18「スピード」

by Saito 2013年02月18日
最近、自分も含めた周りが慌ただしい事が多いような気がします。なぜこうも立て続けに!と思わない事も無いのですが、まあこれも巡り合わせなのかと。ひょんなことで良い方にも悪い方にも転がってしまうこの「巡り合わせ」というやつは、人生には付き物のようにも思いますね。その正体とは何なのでしょうか?
ひとつには自分が過去に行ってきたことの報いと言いましょうか、こう言うとあまり良いイメージではないですが、過去に積み重ねた良心をふいに贈り物のように返してくれるという事もあるでしょう。俗にいう「善いことしといて良かったな〜」というやつですね。逆に「悪いことしたつけが回ってきた」という言葉もありますね。物事は善し悪しは別にして巡ってくるという。
ただ僕が思うに今巡ってきた事は、その善し悪しは関係なく、今の自分に必要な事なんだろうといつも思います。どう受け止めていくかというだけなのかも知れませんが、さまざま遭遇する度に「これは試されているのだ」と感じます。なにも神様とか運命とか大袈裟なものではなく、自分自身に試されているという感じがしますね。「おまえはどうするんだ?」そんな言葉が胸の内から聞こえてくるような、そんな気がします。
負けるつもりはありませんけど(笑)